崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

結末。

 今はもうマンションになってしまった、とある劇場で『オブローモフの生涯より』ニキータ・ミハルコフ監督、ソ連、モスフィルム、1979年、DVD有り)という映画を観たのはいつのことだろうか。流麗な音楽、陽光溢れる、美しい映像。疲れていたせいか、気が付いたら心地よい眠りに誘われてしまい、目を覚ますと、ちょうどラストシーンだった。しっかりとは覚えていない。ただ、暗闇、劇場の外の、太陽の下に出たときの暖かい感触は思い起こせる、ような気がする。
 この映画、19世紀後期ロシア、農民革命を叫ぶナロードニキたちが蠢動していたころのイヴァン・ゴンチャロフの小説『オブローモフ』米川正夫訳、全三巻、岩波文庫、新刊入手可能)が原作である。江戸時代末期、プチャーチン使節団の秘書官として、来日したこともあるゴンチャロフ『ゴンチャローフ日本渡航記』、(高野明・島田陽訳、講談社、新刊入手可能)も残している。
 その作中で丁寧に描かれた『オブローモフ』主義、当時のロシア貴族層の怠惰、言行不一致、無気力をテーマに。社会変革への道を模索した、二十五才で夭折することになる同時代の若き批評家、ニコライ・ドブロリューボフ氏が執筆した評論『オブローモフ主義とは何か』。 

 それが収録されているのが、草森紳一、氏の御蔵書の中の本書、『オブローモフ主義とは何か/今日といふ日はいつ来るか』(金子廉ニ・津田巽訳、弘文堂、昭和18年6月)である。
 昭和18年6月。微妙な時期である。先の大戦の最中であるが、日ソ中立条約はまだ実効性を有していた。このほぼ1年前の昭和17年6月にゾルゲ事件は「公表」されている。同じくその昭和17年6月、ミッドウェー海戦。そして本書刊行時、まだ「主役」ゾルゲは獄中にあった(昭和19年11月処刑)。
 戦時下の時流に沿った、「怠惰」を批判する「行動主義」の書ともとれるとはいえ。このタイミングで、ロシア革命の源流の一つである、この思想史上名高い評論の、3500部(本書奥付による)の初翻訳・出版を許可した、当時の当局の意図とは。
 昭和18年2月、ドイツ軍、ロシア戦線、当時のスターリングラードで敗退。
 本書、訳者解説の日付には。昭和18年1月と記されているのだが。

その先は永代橋 白玉楼中の人