父が医者だったこともあって、ぼくは基本的に「科学の子」だ。霊的なものや超常現象などをハナから認めない、というわけではない。ただ、ぼく自身は、そういった分野にはあまり興味がないのだ。
でも、めぐり合わせとか、運命のいたずらといったことなら、話は別だ。
ぼくは人づき合いがひどく悪くて、男性で女性であれ、「友人」と呼べる人はほんの数えるほどしかいない。だが、あの瞬間に、あの状況を共にしなかったならば、この人とこんなにうち解けることはなかっただろう。――彼らと親しくなるきっかけにはいつも、そんな、偶然とも必然ともつかぬドラマがあったような気がする。
本との出会いにもまた、ドラマがあるものだ。
ちょっとした原稿を書くために、大昔、中国で行われていた「九品中正法」という人材採用法について、調べる必要が出てきた。となれば、何を置いても読んでおかなくてはならないのは、宮崎市定『九品官人法の研究』である。中公文庫に入っているのを知っていたので、都心に出たついでに書店に立ち寄って探してみたが、みつからない。ネットで検索すると、どうやら品切れのようである。
困った。
縁がなかったのだ。そもそも、『九品官人法の研究』は純然たる中国史学の専門書で、いまのぼくが読みこなそうとしても、相当な苦戦が予想される。原稿を書くぶんには、百科事典の類で得られる知識だけでも十分なのだ。無理をしてまで手に入れる必要なんて、ない。そういうことなのだろう。
しかし、翌日の金曜日、いつものように作業場に出かけて、最初の段ボールを開けてみて、びっくりした。中から、1956(昭和31)年同盟舎刊のこの本が、出てきたのだから。
本には、ドラマがある。中身にドラマがあるのはもちろん、デザインや紙質、製本様式、印刷方法にだって、ドラマがある。その本が生み出されるまでにもドラマがあるし、読者と出会う瞬間にもまた、ドラマがある。
だから、本は、おもしろいのだ。