『新律綱領改定律例改正条例伺御指令袖珍対比註解』。
きちんと書名を書くとなると、漢字ばかり22コも並んで、こんなにタイヘンなことになってしまう。奥付によれば、安井乙熊著、1878(明治11)年、同盟舎刊の本である。
おっと、2文字とばしてしまったね。実は、この2文字が、だいじなんだ。
すっとばした「袖珍」とは、ポケットのこと。この本は、むずかしい刑法の便覧を、ポッケに入れて持ち歩けるようにしてあるのだ。タテ約12センチ、ヨコ約8センチ。現在の文庫本をさらに半分にしたくらいの大きさだ。たしかに、持ち歩き可能である。
当然ながら、中の文字もとても小さい。写真にわざわざ、あまりきれいでないぼくの中指まで写し込んだのは、その小ささを実感して欲しかったからだ。特に、ところどころ、漢字の左右にカタカナで振ってあるルビになると、恐ろしく小さい。しかし、大正や昭和になって出版された下手な活版印刷のルビと比べると、はるかに鮮明で、読みやすいのだ。
それを可能にしているのは、銅版印刷の技術だろう、と思う。
銅版印刷は、版画の技法として知られているが、明治の前半には、文字主体の書籍にも用いられた。板に彫刻刀のようなもので文字を刻み込み凹版を作るのだが、相手が金属であるだけに、木を素材に凸版を作る木版印刷よりもはるかに細かい部分まで表現が可能なのだ。この技術がなかったら、ポケットに刑法を、というこの企画は、実現できなかったに違いない。
明治のジャーナリストにして実業家、岸田吟香(洋画家の岸田劉生の父)は、銅版印刷の技術に着目し、上海にわたって四書五経のポケット版を印刷して出版、大もうけした。そんな話を、草森先生に京風おでんをごちそうになりながら、うかがったことがある。
木版から活版へという出版史の王道からすれば、銅版は路傍に咲いたあだ花かもしれない。しかし、その花たちの中にも、いろいろな物語が潜んでいそうな気がする。