崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

文庫。

 SF小説が読みたい盛りに、引っ越した先の町の図書館は立派だったけど。SFコーナーがなかった。前の町には、読み切れないほど、あったのに。しかし、『希望の原理』エルンスト・ブロッホ白水社)や朝雲新聞社刊行の戦史全集がずらりと並んだ、実に立派な図書館だったので、今思えば、素直にそれらに取り組めば良かったのだが、SFを求めて、書店へ、そして古書店通いが日常となっていった。
 100円台でSFなら何でも買ったと思う。当然、創元推理文庫さん、の薄い奴ばかりになる。無理をして、J・G・バラード先生の『沈んだ世界』とかを読んで、うんうん唸っている訳だ。無論、ハヤカワSF文庫さんも少し汚れたり、破れたりすると、その価格帯まで降りてきてくれた。アイザック・アシモフ先生、『鋼鉄都市』などなど。そして当然、筒井康隆先生の『SF入門教室』(ポプラ社、1977年)で随分前から名前だけは知っていた、『ブレードランナー』の原作本にも手を伸ばし。噂に名高いP・K・D、フィリップ・K・ディック先生の門に入ることになった。当時は偉大なるマイナーであったその門。

 そうなると、当時の古本屋の100円コーナーでは対応できなくなる。当時、新刊刊行中でプレミアは付いていなかったとはいえ、P・K・ディック先生の作品を多数収録していた、サンリオSF文庫さんはとにかく、高かった印象がある。相場の倍と言ったところだろう。当時千円近くの値段を新刊文庫に付けていたのはサンリオさんくらいじゃなかったろうか。そして、その廃刊の後は。パラフィン紙の向こう、4けたの世界に隠れてしまった。 
 草森紳一、氏の御蔵書の中に見つけた、サンリオSF文庫さんの『馬的思考』(アルフレッド・ジャリ伊東守男訳、1979年)。戯曲『ユビュ王』、『超男性』で名高いジャリ先生の、ショートショート、エッセイ、二十世紀初頭の時評集、いや、アフォリズムという表現、が一番近いかもしれない。当時のサンリオSF文庫さんには老舎先生の作品『猫城記』まで入っていたという。やはり当時の「SF」という語にはそこまでの射程を夢見させる力があったのだろう。
 しかし、二十一世紀。P・K・ディック先生の諸作品がハリウッド映画の定番原作になるのを、続々、目の当たりにすることになるとは。当時、小さな町で、古本屋の本棚を、小銭を握りしめて、眺めていたころには夢にも思わなかった。まさに今こそは、『イナゴ』の日、なのかもしれない。
 

その先は永代橋 白玉楼中の人