門前仲町の蔵書は尋常ではなかった。『本が崩れる』(文春新書)の出版は2005年10月。崩れそうな本の山を草森さん自身が撮した写真が多数掲載されているけれど、亡くなったのはそれから約2年半経った2008年の3月。マンションのドアを開けるや、蔵書の増殖には息を呑んだ。
亡くなるまでは、本棚のある廊下はかろうじて歩くことも出来たし、執筆中のテーマにあわせて本の位置にも秩序というものがあった。「警察が入って、荒らされたという印象です」編集者のNさんが言った。
蔵書を本当にどうしたらいいのか……関係者の3つの意見に呻吟しつつ、私たちは結局、できる限りのことをやってみることを選択する。草森紳一流に「任梟廬」(にんきょうろ。サイコロ任せ)の気持ちだった。
「2万冊の蔵書の一時保管場所求む!」のメールを10名余りの知人に出したのが4月30日。即、旧知の印刷所の方から「何とかなるかもしれません」という電話があった。どんな難問に出会っても、あきらめてはいけない!
5月半ばには引越屋さん3社に見積依頼。2人は室内を見るなり、「本社と相談してから……」との返事。もう一人、「やらせてください。超激安でやります」と言った営業の人にお任せする。どんな状況下でも挑戦する人はいる。人を信じなければ!
本たちは2万冊と思っていたけれど、さすがにどうもその倍はありそうで、引越屋さんの青年たちが7階までマンションを上ったり下りたり、終日働いて本の引越しは2回にわたった(6月11日と7月8日)。その後に遺品の引越しが1回。草森さんが門前仲町の永代橋の袂に引っ越してから25年。部屋の隅々まできれいに磨き上げて、管理会社に明け渡したのが7月15日だった。
陽の射さないマンションの一室で、草森紳一という主に見守られながら自在のオーラを発散していた本たちは、広い倉庫に移されて、次の運命をどう想像したことだろう。