崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

のすたるぢい。

 家のない人々は、近年さまざまな危険を避けて、終夜眠らず、荷を負いながら、ただただ歩き続けるのだ、とある人から聞いた。家を失う、ということは、必然的に絶えざる移動を引き起こす。間違っても、冬の路傍に水など撒く、ものではない。

 草森紳一、氏の御蔵書の中の、本書『漂泊の物語』(廣末保著、平凡社、1988年、現在、影書房刊行の著作集に収録、新刊入手可能)のフランス装の表紙の裏には、福岡の古書店の案内図が挟まっていた。
 折口信夫氏の流れを汲む国文学の泰斗、廣末保氏による本書は、江戸時代に近松門左衛門によって人気狂言に仕立てられた、常陸から美濃を、果ては冥界、苦界を彷徨う小栗判官と照手姫の伝説・説経節を主題に、「漂泊の物語」とは何か、それを、「貴種流離譚」と括ってしまうことなく、「物語」にとっての「漂泊」=「旅」、ひいては「空間」の持つ意味を問う論考、「説経『小栗判官』―漂泊の物語」、そしてエッセイ「旅の境涯」、二つの折口信夫論:「遊民的喪失感と異郷・マレビト―折口芸能論に潜在するもの」、「異郷からの訪れ―折口信夫の実感と論理」から構成されている。門外漢には手強い、しかし心地良い読後感を残す一冊であった。
 果てしない、失った故郷を求める旅。と口にしてみても、「それ行け、プリンプリンプリン、どこまでも」、四谷シモン友永詔三氏の人形たちが活躍する、80年代初頭のNHK人形劇『プリンプリン物語』、「果てしない海の向こうの、私の祖国」を探し求めるプリンセス・プリンプリン、主演声優の石川ひとみさんの歌う主題歌くらいしか、思い浮かばない。あの話もまた、立派な貴種流離譚なのだ。
 しかし、そんな物語がひとり、さびしい子どもの心の中で芽生えるとき、それは、例えば、『みにくいアヒルの子』(アンデルセン)のような、自らを「取り替え子」に見立てた、あやうい幻想と、なるのかもしれない。
 本書(平凡社版)151頁、で引用されている、折口信夫氏の詩句をここに記す。

< ―坊は 白鳥(ハクテウ)になるんだ―。
   思ひがけなく、大きな声が出て、
   私自身 びつくりした。       >

 本日は、節分である。折口信夫氏は、昨今、関東でも、すっかり定着した「沈黙の巻寿司」(今年の恵方は東北東だそうだ)をどうご覧になるだろう。当方はただ、黙って背を丸め、遠方から来る鬼たちのために、豆を煎っておられる氏の後ろ姿を、勝手に思い描くのみである。

その先は永代橋 白玉楼中の人