崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

白く輝く銀の文字

 大学4年生の夏、唐津から指宿へと、10日ばかりかけて九州を旅をしたことがある。そのとき、天草のユース・ホステルで出会った、たしか横浜で郵便局員をしているというバイク乗りのお兄ちゃんが、こんなことを言っていた。
 「世の中には坂本龍馬派と西郷隆盛派がいるけど、ぼくはゼッタイ西郷派なんです!」
 そのころのぼくは、幕末・維新にはあまり興味がなかったから、信長派・秀吉派・家康派の3分割は考えることがあっても、龍馬派と西郷派は考えたことがなかった。それでも、いよいよ鹿児島へ到着して、西郷終焉の地、城山へ登ったときには、すっかり「にわか西郷派」の気分になっていたものだ。
 蔵書整理をしていて、改めて気づかされたのは、西郷人気のすごさである。関連書が、出るわ出るわ。書名に「西郷」あるいは彼の号「南洲」を含むものだけで、現時点で105点を数える。集めた草森紳一という人の興味の結果と言えばそれまでだが、これだけの点数の書籍が存在していること自体、西郷人気を裏付けていると言えるだろう。



 その中から選んでみたのは、伊藤痴遊著『西郷南洲』全3巻。1925(大正14)年、忠誠堂刊。縦147ミリ×横92ミリ、文庫判の横幅を少しカットしたくらいのハンディ・サイズ。布クロスの上製本だが、あるいは箱に入っていたかもしれない。3巻併せて2500ページを超える、大著である。
 伊藤痴遊は、明治から昭和初期に活躍した講釈師らしい。政治家でもあって、衆議院議員を務めたこともあるという。維新の立役者たちを扱った著作が多く、蔵書の中にも、勝海舟岩倉具視三条実美などの伝記が含まれている。講釈師だけに語りがうまく、『西郷南洲』も、読み出したら一気に読んでしまいそうな文体だ。
 ぼくがこの本に目を留めたのは、装丁が気になったからである。シックな雰囲気もいいけれど、表紙に輝く「賜天覧」の文字。
 仮にも西南戦争で明治政権に弓を引いた逆賊、西郷。その伝記が、大正天皇に献上されるまでに至ったのは、彼の人徳によるものか。民衆の力によるものか。それとも、政権の側が彼の死後の名声を利用したからか。
 ふと、城山から眺めた、桜島の威容を思い出す。噴煙たなびくあの景色は、今日も変わっていないことだろう。

その先は永代橋 白玉楼中の人