そんな賛辞しか思い浮かばない。一昔前の彦摩呂氏ではないが。久々に山尾悠子氏の短編集『夢の棲む街』(昭和53年、早川文庫)を取り出して、朝日を待ちながら読み終え、御蔵書の、同じく山尾氏の短編集『オットーと魔術師』(昭和55年、集英社コバルト文庫)に半ばさしかかった所、作中のアンドロイドが、唯一話すことができる言葉、「チョコレート、食ベタイ」に胸打たれ、腹も鳴った。
御蔵書の中に、本書を見つけたとき、軽いときめきと強い不安を覚えた。こんなに魅力、的でかつその魅力を伝えることの難しい作家はいない。
山尾悠子氏。70年代中盤、関西の女子大生SF作家としてデビュー。小松左京氏、荒巻義雄氏など錚々たる方々の支持を受ける。寡作。SFとも幻想文学とも表現しがたい貴重な作風。美しい文体。字面。そして美貌。白状してしまえば、手元の文庫本の裏表紙、著者近影に惹かれて、ある古本屋の店頭で『夢の棲む街』を購入した。その後傑作集が、『山尾悠子作品集成』として、国書刊行会から出版され、瞬く間に売り切れ、現在に至るまで版を重ねている。2003年、ほぼ20年ぶりの新刊『ラピスラズリ』を刊行。翻訳家としても活躍。
こんなデータを羅列することの虚しさを。痛感させるのが、山尾氏の作品の真骨頂である。
間違ってもコトバに思いをかけるもんじゃない
血も肉も暖みもない
コトバの女は深情け
嫉妬深さも天下無類
コトバのない夢の世界へ
飛んでいくことさえ許しちゃくれない……
(『夢の棲む街』収載、「ファンタジア領」より)
比喩の蜜で煮詰られた、色鮮やかなことばの果実たち。しかし、触ると透明な蜜がまとわりつつ、その果実を守る。まるでこれは。子どものころの正月。喫茶店でねだった、フルーツポンチを思い出す。ウィンドー越しに眺める、食品模型の美しさ。鈍く光り、波打つシロップが、ストローをしっかり支えて、停止していた。そんな思いをよそに、結局はミックスジュースが運ばれてきたような。
フルーツポンチ、ミックスジュース、プリン・ア・ラ・モード。食いはぐれた喫茶店のあの甘いものたちは、今どこにいるのだろうか。
ポンチがとうとうと流れ、プリンが踊る「純喫茶の棲む街」があったなら。