崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

風がページをなぜる

 長年の知己から、受け取ったメールに添付された、地図をひらつかせながら。
 その倉庫に行ってみた。季節はまだ、夏だったのだろうか?
 文字通り、その日だけ顔を出して、あわよくば、何かコネクションか、珍品の一冊でも、という根性がなかった、と言えば嘘になる。
 
 困ったことに、漢籍にも古文にも縁遠いので、値の張りそうなものを、探そうにも皆目見当がつかない。倉庫の中、段ボールに詰められた書物、その箱が成す大きな数十のブロック。その箱を開けて、整理し、詰め直し、積み上げていく人たちが何人もいる。Tシャツで、あるいはスーツの袖をまくって。そんな中で、少しずつ、娑婆っ気が抜けていく。
 そして、コネと言ったところで。
 この膨大な書物の主と連絡を取る術はないのだ。

 箱をひっくり返して、かき回して、働き者の皆さんに、気づかれないように遊んでいるうちに、とある一冊の書籍に目が止まった。



 井筒俊彦著 岩波セミナーブックス1『コーランを読む』 岩波書店。 1991年の版。(初版は1983年)

 先の湾岸戦争の年の版である。付箋が数本。赤い傍線が所々。

 『コーランを読む』というタイトルは、井筒俊彦氏ご自身にとっては、恐ろしく、不思議な感じのするものであったのではないか。
 アラビア語で書かれた、ムハンマド直伝のもののみが、その聖典の名に値する。それが根本教義の一つである、といつか伝え聞いた。
 翻訳してはならない。翻訳不可能なのものを、セミナー参加者と共に「読む」試み。その結果が日本語の本の山の中に紛れていた。

 倉庫を出て。階段に腰掛け、煙草を吸いながら、そのページをめくろうとしていた。

 晴れた空の下。風が強く吹いて、ページをさらさらとなぜた。
 この本に誘うのか、この本から誘うのか。

 本を閉じ、倉庫に戻った。そして、その本を詰めるための段ボール箱を物色しはじめた。

 そして、まだ。その辺をうろついている。

その先は永代橋 白玉楼中の人