崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

月夜。

 夜遊びなど、夢のまた夢の時分。帰り道、夕暮れの書店で、内田美奈子先生の繊細な線で描かれた『赤々丸』(ブッキング、にて復刻版入手可能)などを立ち読んでいた当時。「漫画サンデー」(実業之日本社)の原色中心の表紙、その上で飛び跳ねていた『まんだら屋の良太』(畑中純)。その線の太さ、明暗の強さに恐れをなしてしまって、手にとった覚えはほとんどない。しかし、その表紙絵から伝わってきた躍動感が、鮮明に記憶に残っている。大人の、夜のマンガというべき、力を滲んでいた。草森紳一、氏の御蔵書には「良太」たちが完結巻まで、積み重なっている。
  そして、家に着くと、FMラジオで、ポップス、フォークの世界をふらついていた。ある夕方、はじめてロックンロールを一曲、最後まで聞いた。忌野清志郎(キヨシロー)氏率いる、RCサクセションの『ガ・ガ・ガ・ガ・ガ』(アルバム『BLUE』(1981年)収録、CD新品入手可能)である。
 <ノイズだらけのラジオが鳴ってら>
 力溢れるエレキギターの、弾むビートを感じた最初だった。それまで、親しんできたシンセサイザー、フォークギターの世界が色あせて見えた。猥雑な夜の酒場に、恐る恐る、初めて足を踏み入れたような、強いときめきを覚え、今に至る。

 草森紳一、氏の御蔵書中の本書、『私の村』(畑中純話の特集、1991年。ちくま文庫収録、現在品切中)。表紙の版画の美しさに惹かれて手にとり、畑中純先生の、ペンの力に押さえ込まれていくかのように読み進めた。
 とある山村。その村はかなり前から、ダムの底に沈むことになっている。反対、推進の二分どころではすまない、複雑怪奇な勢力図の中で明け暮れる、精力を漲らせた、村の老若男女たち。その渦のただ中に「取材者」として滞在することになった、タウン誌のうら若き女性記者を軸に。村の内外の抗争と愛憎が、雄渾なタッチで描かれていく。
 夜の川の美しさ。そこに流れたゆたう、男たち、女たちのどうしようもなさ。この村で、不始末のお詫びに、野菜を差し出そうものなら、どうなることか。お日様の元の激しい情熱。お月様の下の、静かな愛。すべては山の中、である。人が山を守るのか、山が人を守るのか。夜の闇の中、山はただ黙している。最後に、文字通り、山は笑う。

<ぼくは口笛に いつもの歌を吹く
 きれいな月だよ (出ておいでよ)
 今夜も二人で歩かないか>
 (RCサクセション、『夜の散歩をしないかね』より、アルバム『シングル・マン』(1976年)収録(CD新品入手可能)、作詞:忌野清志郎/作曲:肝沢幅一/編曲:星勝&RCサクセション)

その先は永代橋 白玉楼中の人