崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

場所。

 昔、仕事上の愚痴をこぼしていたら。その相手はこう言ってくれた。
 「『750ライダー』のマスターがやっている喫茶店みたいな場所があればいいんですけどねえ」
 750と書いて、ナナハンと読む。念のため。当方が「週刊少年チャンピオン」の立ち読みに興じていた頃、すでに超長期連載の域に達していたような気がする、『750ライダー』(石井いさみ先生、電子書籍として購読可能)、残念ながら、草森紳一氏、の御蔵書からはまだ発見されていない。パイプをくわえたマスターが経営する、時間の止まったような喫茶店。連載後期には、いつしか、その喫茶店が中心になって、作品世界を規定する、という展開だったように記憶している。パイプとは煙草のパイプである。念のため。
 長らくの連載中断を経て、先日、待ちに待った、第5巻が刊行された『ヒストリエ』岩明均先生、「月刊アフタヌーン」(講談社、新刊入手可能)連載中、拙文、BK1書評ポータルに掲載)。大傑作『寄生獣』講談社、新刊入手可能)をはじめ、『七夕の国』小学館、新刊入手可能)、『ヘウレーカ』白泉社、新刊入手可能)と、草森紳一、氏の御蔵書には、岩明均先生の主要作品がほぼ揃っている。そしてひっそりと、本書『風子のいる店』(講談社、現在品切中)もまた、その中にあった。

 「モーニング」連載時と同じ設定であろう、80年代後半、とある大学の近所の喫茶店。その喫茶店で高校生、風子はウェイトレスのバイトをはじめたばかりだ。美しい、外見からはまったく分からない、吃音という障害を抱えて。マスターは頼りないが優しい。怖そうだが頼りになる、常連さんとも顔なじみになる。そのうち、同級生からたどたどしい、告白も受ける。しかし、同年配の女性を、手遅れながらも、「助けよう」とした彼女は。
 瑞々しい絵柄で、灰皿と、しっかりとした椅子を備えていた頃の、喫茶店という場所の持っていた、暖かい空気と、その場所の力を借りて、成長していく彼女、が描かれていく、作品なの、だろう。何とか続刊を発見できるよう、残りの箱に期待したい。
 二十数年前の喫茶店。煙草の薫りと珈琲の香りは、時間を緩やかにしてくれていた。顔なじみのバイトの、ウェイトレスさん、あるいはウェイターさんとの決まり切った、あいさつもまた。細々としてかつ茫洋たる温もり。紫煙のように儚く、このまま、これらの場所ごと消えていくのだろうか。
 夜の喫茶店で、そんなことを考えていたら。ウェイトレスさんが、水を注いでくれた。 

その先は永代橋 白玉楼中の人