「星の一つ一つを数えるような仕事。その一つをも見落すまいとする態度。」
そんな姿勢で「物故人名事典」の編纂を開始した東京美術の編集部は、しかしそれが「大変な企て」であることを思い知る。近代日本にわずかでもその輝きを放ち、やがて消えていった無数の先人たちの業績を追跡調査することは、「実践的に極めて困難」だったのである。
そんな折、彼らは慶應義塾大学図書館に、『国民過去帳』なる1冊の私家版の書籍が収蔵されていることを知る。編者は大植四郎、1935(昭和10)年刊、1437ページ。1872(明治5)年以降、明治末年に至るまでに亡くなった2万1306人を、その亡くなった日付順に収録した、膨大かつ詳細な「物故人名事典」であった。
明治時代の「物故人名事典」としてこれ以上のものを編集することはできないと判断した東京美術の編集部は、大植の許可を得て、この書を『明治過去帳』として覆刻、公刊することとした。1971(昭和46)年のことである。
1889(明治22)年から1891(明治24)年にかけて、4分冊で刊行されたわが国最初の国語辞典『言海』(現在、ちくま学芸文庫で入手可能)は、大槻文彦が17年を費やして完成させたものだ。1899(明治32)年から1907(明治40)年にかけて、冨山房から刊行された全8巻からなる『大日本地名辞書』は、吉田東伍(とうご)という1人の人物が13年かけて書き上げたものだ。1917(大正6)年、啓成社刊の『大字典』は、親文字数1万5000以上という当時としては破格の大型漢和辞典だが、これも実質的には栄田猛猪(たけい)1人の10年以上にわたる奮闘の結果、生まれたものだという。
たった1人の情熱と努力によって生み出された、とてつもない業績。かつての辞書・事典には、そういうものが数多く存在した。21世紀の現在でも、そんなことが可能なのだろうか?
いや、それもまた、良きにつけ悪しきにつけ、「近代の物語」であったような気がする。