崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

彷徨。

 ある年代以上の「科学少年」だった経歴をお持ちの方なら。「さまよえる湖」、タクラマカン砂漠ロプノール湖の謎を解いた、スウェーデン人学者、スウェン・ヘディン氏の名前を聞いたことがないだろうか。たしか、彼の紀行文を教科書で読んだ記憶さえある。将来なりたい職業に「冒険家」がしっかりランクインしていた時代、彼もまた、綿密な調査と「冒険」で、一定周期で「移動」する湖の謎を解いたヒーロー、冒険家の一人だった。検索してみた限りでは、そのロプノール湖も。干上がり、消滅して久しい、とのことだ。問題意識に乏しい当方さえも寂しくなってしまう。
 たぶんヘディンの名も。日本の学校で、教えられなくなっているのかもしれない。ましてや、「冒険家」の名もまた。あの植村直己氏の存在が、かつての、その名の煌きを放った最後期にあたるのではないだろうか。

 草森紳一、氏の御蔵書から、許諾をいただいて、お借りした、本書『上海史』(F・L・ロータス・ポット著、土方定一・橋本八男訳、生活社、昭和15年(1940年)、原題"A Short History of Shanghai"、1928年)。shortと名乗っておきながら、500頁近い大著で、歯が立たず、文字通り、窓際に追いやっていた。奥付をぼんやり眺めていて。ふと、この生活社という版元に興味を持ち。国立国会図書館にアクセスしてみた。
 生活社。1938年から大体1955年くらいまで、激動期を挟んで、東京で活動していた出版社のようである。中谷宇吉郎氏や映画評論家、飯島正氏、前掲書の訳者であり美術評論家土方定一氏など有力な著者陣を擁する一方で、戦前、戦中の大陸研究とも関係が深い出版社であったとおぼしい。
 昭和14年(1939年)、ヘディンの著書が一般読者向けに、本邦初訳されたのも、この、生活社に於いてであったらしい。
 穿ちすぎかもしれないが、この「生活」を冠した社名には、国内の経済的好況と深まる総力戦体制が並立した昭和十年代前半、生活社、設立当時の、「文化人」たちの焦りと模索が感じられるように思える。生活のために書くのか。書くために生活するのか。彼らはそんな思考の隘路に苦しんでいたのではないだろうか。
 昭和12年(1937年)、誠実な作風で現在もなお評価の高い島木健作氏の傑作長編は。『生活の探求』と題されて刊行されている。ヘディン氏を引くまでもなく。冒険には常に危険が付きものである。しかし。机に向かっての、もの静かな生活もまた冒険、であったりするのだ。昭和11年(1936年)刊行の『晩年』中の短編『葉』において。太宰治氏は一行、以下のようにぽん、と投げ出していた。
 <生活。>

その先は永代橋 白玉楼中の人