崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

白夜の草原をゆく

 神津恭介といえば、推理作家・高木彬光の生んだ名探偵だ。かつて、「土曜ワイド劇場」で近藤正臣の当たり役だったのをご記憶の方も多いだろう。
 その神津恭介が、歴史上の謎に挑んだのが、『成吉思汗の秘密』(1958年。現在は光文社文庫で入手可能)。ジンギス・カンは実は源義経であったという説を「立証」して、発表当時、大きな反響を呼んだ作品である。



 「ジンギス・カン源義経」説は、ちょっとした歴史好きならだれでも聞いたことがあるくらい有名だが、そのタネ本になっているのが、小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924年)である。出版元は、戦前の代表的な辞書出版社の1つ、冨山房。布クロスに義経の家紋とされる笹竜胆を配しただけの簡素な装丁といい、いわゆるトンデモ本ではない。
 残念ながら、現在の歴史学会では、「ジンギス・カン源義経」説は、完全に否定されている。以前ははっきりしなかったジンギス・カン幼年時代の事跡が、わかってきたからだ。では、本書は読む価値がないかというと、そうでもない。
 著者の小谷部は、義経の「足跡」を追って、東北、北海道はおろか、アジア大陸北東部にまで旅をする。本書の後半は、シベリアからモンゴルにかけての紀行が、大半を占める。
 1918(大正7)年、前年に起こったロシア革命に干渉しようと、日本は軍隊をシベリアへと送り込む。「シベリア出兵」である。小谷部は、このとき、志願して従軍文官となりシベリアへ渡ったという。もちろん、真の目的は、義経の「遺跡」調査である。
 翌々年の8月、行き詰まったシベリア出兵が撤退を始めると、小谷部は単独で、護身用に日本刀一振りをひっさげ、チチハルから興安嶺を越え、ジンギス・カンの故地へと足を踏み入れるのだ。その間、ひとり異郷に暮らす日本人医師に会ったり、ラマ教の僧に歓待を受けたり。革命を避け落ち延びるロシア部隊と一触即発の遭遇をしたり。南京虫に悩まされつつ白夜の草原をゆくその紀行文は、なかなかおもしろいのだ。
 時代が変われば、興味も変わる。それにつれて、読者がある書物のどんな部分に価値を見出すかも、変化していくものだ。
 この本はもう時代遅れだ。――ぼくたちがそう感じるとき、それは、ぼくたち自身が、新しい価値を見いだせないでいるだけかもしれないのである。

その先は永代橋 白玉楼中の人