神津恭介といえば、推理作家・高木彬光の生んだ名探偵だ。かつて、「土曜ワイド劇場」で近藤正臣の当たり役だったのをご記憶の方も多いだろう。
その神津恭介が、歴史上の謎に挑んだのが、『成吉思汗の秘密』(1958年。現在は光文社文庫で入手可能)。ジンギス・カンは実は源義経であったという説を「立証」して、発表当時、大きな反響を呼んだ作品である。
残念ながら、現在の歴史学会では、「ジンギス・カン=源義経」説は、完全に否定されている。以前ははっきりしなかったジンギス・カンの幼年時代の事跡が、わかってきたからだ。では、本書は読む価値がないかというと、そうでもない。
著者の小谷部は、義経の「足跡」を追って、東北、北海道はおろか、アジア大陸北東部にまで旅をする。本書の後半は、シベリアからモンゴルにかけての紀行が、大半を占める。
1918(大正7)年、前年に起こったロシア革命に干渉しようと、日本は軍隊をシベリアへと送り込む。「シベリア出兵」である。小谷部は、このとき、志願して従軍文官となりシベリアへ渡ったという。もちろん、真の目的は、義経の「遺跡」調査である。
翌々年の8月、行き詰まったシベリア出兵が撤退を始めると、小谷部は単独で、護身用に日本刀一振りをひっさげ、チチハルから興安嶺を越え、ジンギス・カンの故地へと足を踏み入れるのだ。その間、ひとり異郷に暮らす日本人医師に会ったり、ラマ教の僧に歓待を受けたり。革命を避け落ち延びるロシア部隊と一触即発の遭遇をしたり。南京虫に悩まされつつ白夜の草原をゆくその紀行文は、なかなかおもしろいのだ。
時代が変われば、興味も変わる。それにつれて、読者がある書物のどんな部分に価値を見出すかも、変化していくものだ。
この本はもう時代遅れだ。――ぼくたちがそう感じるとき、それは、ぼくたち自身が、新しい価値を見いだせないでいるだけかもしれないのである。