崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

項目。

 カメラに詳しい先輩に、カメラについての曖昧な質問をしたことがある。ふだん親切な先輩が、ぶすっと「百科事典、引いた?」と言った。図書館で平凡社の百科事典を引くと、あっさり、その疑問は解決した。それまで、百科事典を「実用」したことがなかったのだ。教養主義にかえって、教養そのものを奪われていたようなものだ。

 草森紳一、氏の御蔵書の中にあった本書『ブリタニカ草稿』(エトムント・フッサール 谷徹訳、ちくま学芸文庫、新刊入手可能)。『ブリタニカ百科事典第十四版』のために、収録新項目「現象学」について。現象学の事実上の始祖、御本人であるフッサール氏が、後に決定的に袂を分かつことになるマルティン・ハイデッガー氏とのほぼ最後期の共同討議も重ね、第四稿まで練り上げた、「草稿」である。非常に名高い一冊であり、「哲学」を志すものにとって、必読、という印象さえある本書。せりか書房版で挫折して数十年。今回も挑戦してみたが、まったく歯が立たなかった。
 さて、本書はあくまで『草稿』である。『ブリタニカ百科事典』編集部にとっての完成稿、決定稿は、本書、訳者解説によると。「これは、フッサールの原稿をクリストファー・サーモンが大幅に縮めて英訳したものである。もともと依頼原稿の条件が4000語だったのに、フッサールは7000語強で書いたのだから(後略)」(本書、p.173-174より)
 切ない話である。このサーモン氏の正確な立場は存じ上げないが、それだけの圧縮作業を行う力量のある方が、この『草稿』の「価値」を理解しなかった、とは考えにくい。フッサール氏も第一稿→第四稿と、語数を絞り込む努力はされたとのことである。それでも、サーモン氏のその圧縮作業は要請され、結果、それが百科事典に掲載された。しかし。「誤解と誤訳が少なからずあって、評判が悪い」(本書、p.174より)。泣ける。
 サーモン氏。今日、自転車に乗って、図書館に『ブリタニカ』を引きに行くよ。多分、今の版には、君の決定稿のかすかな痕跡しか、残っていないだろうけれども。

その先は永代橋 白玉楼中の人