崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

袋とじの中身

 読み出したら、おもしろくてやめられなくなる本、というものがある。この先、どうなるのか? とにかくそれが知りたくて、食事の時間ももったいない。もちろん、寝てなどいられるものか! 「本好き」ならば、そんな経験をしたことがあるに違いない。
 そうやって読み進めていた本のあるページ以降が、袋とじになっていたとしたら? そうして、その袋とじを破らずに出版社に送れば、本の代金を返してもらえるとしたら?
 そういう試みを実際に行った例としては、アメリカのサスペンスの巨匠、ビル・S・バリンジャーの『歯と爪』が有名だ。バリンジャーは、この小説のおもしろさには絶対的な自信があったらしい。そこで、結末部分を袋とじにして、「読みたくないならお金を返してあげるよ」とうそぶいて見せたのだ。ダイエット食品まがいの「返金保証」が狙いなのではなく、話題作り、宣伝効果が主目的であることは、言うまでもない。
 この作品の翻訳は、創元推理文庫から出ていて(大久保康雄訳、1977)、翻訳バージョンでも同じ体裁を守っている。ぼくは高校生のときに読んだのだが、もちろん、ためらいもなく袋とじを破って読み進めさせられたものだ。



 蔵書の中から出てきたトマス・トライオン『悪魔の収穫祭』(広瀬順弘訳、角川書店、1976)も、同じ趣向のホラー小説である。アメリカはニューイングランドの片田舎に引っ越し、新しい生活を始めた画家。絵筆を取るにふさわしく、美しい自然に囲まれたその村は、しかし、現代文明から取り残されたような村でもあった。平穏な日常に見え隠れする、あやしい呪術の影。やがて彼は、オカルトとエロスに彩られた秘儀へと、巻き込まれていく……。
 バリンジャーのことを思い出しながら、しかし高校生のときとは違って、ぼくはこの小説の仕掛けを、まったく別の観点からたのしんでいた。
 袋とじのために、製本代が少し高くついたことだろう、とか。本は基本的に16ページ単位で製本するから、袋とじの部分とそれ以外の部分のページ数が、ともに16の倍数(最低でも8の倍数)になるようにする必要がある。翻訳ものでそれを実現するのに、編集者はけっこう苦労したんじゃないか、とか。それでも奥付だけは袋の外に出さなくてはならないのも、難儀なことだなあ、とか。
 そんな苦労を強いられるこの「袋とじ小説」、宣伝効果としては、どんなものだろう? ぼくが担当編集者だったら、「課長、めんどくさいから、やめときましょうよ」なんて言ってたかもなあ。

その先は永代橋 白玉楼中の人