崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

気力。

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 草森紳一、氏の御蔵書の中にあった、本書『東京大地震史』。朝倉義朗著、日本書院発売。奥付には大正十二年九月二十八日印刷、同年九月三十日発行、とある。著者によるはしがきの日付は同年九月二十日。その年、その九月一日、関東大震災発生。十四頁にわたる口絵には当時としては、珍しい筈の、被災地の空撮写真も含まれている。
 所謂「検閲」と呼ばれる制度が存在していた当時、奥付の発行年月日は、現在とは、少し重要性が違う。これらの日付が信用に足るかどうかは、門外漢の当方には判断できない。とはいえ、三百頁余りの本書。地震の概要、政府、当局の対応の経緯、人的、物的損害の報告、各地の被害状況、救護活動の報告などにくわえ、百頁を超える『大震大火哀話喜話』という様々なエピソードをまとめた章から、構成されている。
 一見、ごく普通の作りだが、パラパラとめくるだけでも、活字の大きさが、不自然に食い違っていたりする箇所が数カ所、目に飛び込んできた。
 日本書院の住所は麹町と記されている。奥付のその他の住所も全て、都下である。
 無論、すべてが奥付通りだったか、どうかは、先述の通り、当方には知る術もない。
 原稿もまた、様々な媒体からの引用の可能性がある。
 しかし、電話も道路網もそもそも不十分な当時の日本。たとえ、被災を免れた地域で、実際の編集・制作工程を進行したにせよ、すさまじい気力で本書は刊行されたのだろう。 無論、商売であり、営利目的の出版物である筈だ。
 ただ、例えば、必需品の取引などに資本を投入して、投機に打って出るという選択肢もあり得ただろう。この発行者は、非常時に、非常時そのものを材料に、本を作って売るという、賭けに出た。
 その賭けの、成否、はどうであったのだろうか。
 奥付の手前の頁に、下記のような文言が印刷されていた。
 <日本書院から読者へ 今回の大震災で不幸本院も活版所も製本部も焼けましたが、一層の大努力を以て良書を出版し益々発展したいと思ひますから、読者諸君幸に御同情の上出版毎御愛顧御引立の程を只管祈ります。>
 奥付をめくると、最終頁は。他の出版物の広告であった。

その先は永代橋 白玉楼中の人