崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

大盛トンカツ。

 泉にんにく、囲まれ天丼。子どものころ、聞いた『ブルーシャトー』(作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫ジャッキー吉川ブルーコメッツ)の替え歌、である。脚韻をいじったこの高等技術、たぶん元をたどると、黎明期の深夜ラジオ、最初期の腕利きハガキ職人の手になるものではないだろうか。
 あるいは、こちらの方が、もっと全国的かもしれない。瀬戸は日暮れ天丼、夕波小波ソラーメン。ご存じ、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』(作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎)、「瀬戸は日暮れて 夕波小波」のくだりの替え歌。ともに後半に続くのだが、全部覚えるには幼すぎた。昔、夏、冬の長い休みのときなどには、近所の上級生も暇で、飽かず、こんな「歌」を教えてくれたものである。言うまでもない名曲『ブルーシャトー』も、正しくは、森と泉に囲まれて。静かに眠る、と続くロマンティックな歌詞なのだが、こちらの方を先に覚えてしまったからいけない。イントロを耳にすると、まずジュウジュウと厨房から香ばしい音を立てている食堂が思い浮かぶようになってしまった。キャベツの森とソースの泉に囲まれて静かに眠るのは、厚切りトンカツである。隣の誰かが、待っている天丼ももうすぐである。



 御蔵書の中には、新古書店のシールを貼られた上に、同じ書物が二冊ダブっている場合がある。本書も、そのダブりというか、古書の奏でるリフレインを構成する一冊。
 ブルー、ブルー、ブルー、ブルー。古書。
 とふざけている場合ではない。本書に対する、草森紳一、氏の関心の深さを物語るリフレイン、反復である。手元の本書『動物裁判』池上俊一著、講談社現代新書)は1990年初版刊行。1994年第7刷が新古書店を経て、おそらくは90年代後期以降、お手元に。これが一冊目なのか、買い直されたものかは、わからない。
 1980年代、フランス現地で、中世に遡る古文書など文献渉猟を重ねた著者。社会史、心性史、法学史、人類学的諸知見などなどを飛び道具としてではなく、丁寧に操るその手技、わかりやすい構成・文体はすばらしい。13世紀〜18世紀のヨーロッパにおいて広く行われていた、動物、昆虫の群れ、あるいは植物、氷河までが、被告席に列し、かつ人間の弁護士による正式の弁護さえも受けた、「動物裁判」。この一見、現代の常識から、の好奇心本位で扱われがちな問題を、自ら発掘した数多くの興味深い「判例」を踏まえ、紹介、総体的に分析する本書。十字軍時代後期からフランス革命前夜に至る数百年間、ヨーロッパが現在の形を形成した時期の、森に象徴される自然とヨーロッパ人の関係、とその変容、を平易に解きあかす名著である。
 森に囲まれた人里:都市の中の、人が、元来、森から来た動物たちの罪を、つまり自然を裁く。自然に対する人の無力さゆえ、あえて都市の中で自然を裁いて見せたのか。それとも。
 さて、あえなく有罪宣告を受け、処刑された動物たち。豚、牛、山羊などの場合も、その罪ゆえに不浄とされて。人の食卓に上ることは、ほぼなかったそうである。その一方で、弁護団の奮闘が実り、年齢面を情状酌量され、許される毛虫たちもいた。
 「きらず(切らず=おから)にやるぞ」
 「まめ(豆)で暮らします」
 こちらは、人間国宝桂米朝師の十八番、上方落語『鹿政談』のサゲである。江戸時代、奈良は春日大社、野良鹿をうっかり死なせた科でお白州に引き出され、あやうく死罪になりかかる、ほんの少し寝坊しただけのお豆腐屋さんのお話。賢明にも彼に無罪判決を下した、このお奉行様にもぜひ読んでいただきたかった、一冊である。

その先は永代橋 白玉楼中の人