本の価値とは、いったい何だろうか。
書かれている内容が、人類の知的遺産としてかげがえのないもの。そういう本なら、千古不滅だろう。でも、そんなに確実な「価値」を持つ本など、めったにない。世の中に生まれてくるほとんどの本は、時代の荒波にもまれて、ほどなく古び、深い歴史の谷底へと音もなく消えていく。
そんな本たちには「価値」がないのだろうか。
『明治文雅姓名録』。明治12(1879)年刊、奥付には「編輯兼出版人」として清水信夫という名前が挙がっている。縦11cm×横15.7cm、黄色い表紙の和綴じ本だ。当時、詩文・書・画・和歌・俳諧その他の道で名を知られていた「文雅」な人々の住所録である。
130年後の現在では、その記載内容にはほとんど価値がないかもしれない。でも、ぱらぱらと見ているだけでも、これがなかなかおもしろいのだ。
掲載の順序はイロハ順。それだけでも時代を感じるが、なおかつ考えさせられるのは、雅号のイロハ順になっていることだ。伊藤博文や榎本武揚といった有名な政治家だって、雅号で呼ばれる。そういう社会が、当時はそこにあったのだ。
ちなみに1番最初に出てくるのは、「一々学人」こと副島種臣。草森紳一先生のライフワークだった、明治の外交官、書家、詩人である。この人がトップに載っているとは、偶然とはいえ、先生との機縁を感じる。住所は、「芝烏森町五番地」。現在の新橋駅近辺だろうか。そんなことをゆるりと考えるのも、たのしい。
「文雅姓名録」に掲載されるのは、名誉あること。でも、本名や住所を知られるのは困る。――当時も今も、変わらぬ事情があった、ということか。
あやしい事業の相談や借財の申し入れなどに悩まされる、日本資本主義の父。ストーカーまがいの壮士たちにつきまとわれる、明治の才媛たち。
トンボの羽のように薄い和紙をめくるたびに、そんな空想が、ゆらめいては消えてゆく……