歌舞伎座で歌舞伎を観たことが、一度だけある。
いわゆる天井桟敷、三階席で。
まっすぐ前を見ると視界の半分以上は天井である。
花道は見えない。時々、花道で見栄を切る、方々の首だけが覗く。
しかし、舞台の全体像は、かえって把握しやすかった。
『歌舞伎—その美と歴史—』。おそらく国立劇場での無料配布物だ。
しかし、「簡潔にして要を得た」労作だ。
舞台構造、世話物・時代物の定義、荒事・和事・女形の定義、江戸・上方の作法の違い、江戸時代を中心にした略史など。巻末に年表まで付いている。この年表、1頁なのだが。五行ほど引用してみよう。
1893 (河竹)黙阿弥歿(1816〜1893)
1896 活動写真輸入
[1898 モスクワ芸術座]
1903 九世団十郎・五世菊五郎歿
1909 新劇運動開始
歌舞伎を取り巻く大状況に対峙する、この思い切りのよい、力業!
この年表に「モスクワ芸術座」とだけ記された1898年、旧帝政ロシア→ソ連、現ラトビアのリガに生まれたのが。『戦艦ポチョムキン』(1925年)の監督、セルゲイ・ミハイロウィチ・エイゼンシュタインである。
20年程前ケビン・コスナー主演(エリオット・ネス役)でリメイクされた『アンタッチャブル』をご覧になった方がいらしたら。
階段を転げ落ちる乳母車を、アンディ・ガルシア演じる刑事が救うシーンをご記憶だろうか。
あのシーンこそ。『戦艦ポチョムキン』でエイゼンシュタイン監督が作り上げた。『オデッサの階段』として名高い場面の再現であった。
理論家としても健筆を誇った、エイゼンシュタイン。
御蔵書リストにもある彼の主著『映画の弁証法』(佐々木能理男訳、角川文庫、初版1953年:本邦初訳は袋一平氏らしい)の第一章は。
「歌舞伎・予期しなかったもの」と題されている。
1928年8月の市川左団次率いる一座による、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)での歌舞伎公演中に執筆された論文である。『道成寺』、『忠臣蔵』などが上演されたらしい。
天井桟敷ならではの楽しみが、もう一つあった。
雪。
そこからは、天井から降る雪がさらさらと。
舞い落ちるさまを、ゆったり、眺めていられる。
1928年8月、モスクワ。どんな雪が「四十七士」とエイゼンシュタインをはじめとする「人民」の上に降り積んだのだろうか。