崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

天井桟敷の雪。

 歌舞伎座で歌舞伎を観たことが、一度だけある。
 いわゆる天井桟敷、三階席で。
 まっすぐ前を見ると視界の半分以上は天井である。
 花道は見えない。時々、花道で見栄を切る、方々の首だけが覗く。
 しかし、舞台の全体像は、かえって把握しやすかった。



 河竹登志夫氏執筆、昭和59年5月19日刊行の32頁の小冊子。
 『歌舞伎—その美と歴史—』。おそらく国立劇場での無料配布物だ。
 しかし、「簡潔にして要を得た」労作だ。
 舞台構造、世話物・時代物の定義、荒事・和事・女形の定義、江戸・上方の作法の違い、江戸時代を中心にした略史など。巻末に年表まで付いている。この年表、1頁なのだが。五行ほど引用してみよう。

 1893 (河竹)黙阿弥歿(1816〜1893)
 1896 活動写真輸入
   [1898 モスクワ芸術座]
 1903 九世団十郎・五世菊五郎歿
 1909 新劇運動開始

 歌舞伎を取り巻く大状況に対峙する、この思い切りのよい、力業!

 この年表に「モスクワ芸術座」とだけ記された1898年、旧帝政ロシアソ連、現ラトビアのリガに生まれたのが。『戦艦ポチョムキン』(1925年)の監督、セルゲイ・ミハイロウィチ・エイゼンシュタインである。

 20年程前ケビン・コスナー主演(エリオット・ネス役)でリメイクされた『アンタッチャブル』をご覧になった方がいらしたら。
 階段を転げ落ちる乳母車を、アンディ・ガルシア演じる刑事が救うシーンをご記憶だろうか。
 あのシーンこそ。『戦艦ポチョムキン』でエイゼンシュタイン監督が作り上げた。『オデッサの階段』として名高い場面の再現であった。

 理論家としても健筆を誇った、エイゼンシュタイン
 御蔵書リストにもある彼の主著『映画の弁証法』(佐々木能理男訳、角川文庫、初版1953年:本邦初訳は袋一平氏らしい)の第一章は。
 「歌舞伎・予期しなかったもの」と題されている。

 1928年8月の市川左団次率いる一座による、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)での歌舞伎公演中に執筆された論文である。『道成寺』、『忠臣蔵』などが上演されたらしい。
 天井桟敷ならではの楽しみが、もう一つあった。
 雪。
 そこからは、天井から降る雪がさらさらと。
 舞い落ちるさまを、ゆったり、眺めていられる。

 1928年8月、モスクワ。どんな雪が「四十七士」とエイゼンシュタインをはじめとする「人民」の上に降り積んだのだろうか。

その先は永代橋 白玉楼中の人