崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

美女・無頼・ダイエット。

 御蔵書の中には、当方の「近過去」を思い起こさせる書物もある。

 『町でいちばんの美女』チャールズ・ブコウスキー著、青野聰訳。新潮社。単行本。



 1994年3月20日初版。ピンクの付箋が一枚貼られた御蔵書は、1996年9月30日の第16刷。当時、本書を青山ブックセンターあたりで見かけて、迷って買わなかったような、記憶がある。

 2年半で。16刷。少なくとも5ケタは売れていたのである。

 小沢健二氏、はじめ「渋谷系」の残照がまだ残っていた時期にあたるのだろう。『行け!稲中卓球部』(90年代中期『ヤングマガジン』連載)にもよく似た人物が顔を見せていた、小山田圭吾氏は、今年、グラミー賞にノミネート、とのことである。

 あのころ。ジャン・リュック・ゴダールの諸作品上映で、渋谷の映画館が満員になっていたのは、記憶に残っている。「ゴダール」で充分、ささやかな商売が成立していた。

 本書を開いたがいいが。ヘンリー・ミラー『南回帰線』)を濃くして、「実写版」にしたような字面で疲れ果て、中途でページを閉じた。

 そのころ。当方は、連載中の『中国文化大革命の大宣伝』を、お目当ての一つとして、『広告批評』を購読していたはずだ。

 当時の青山ブックセンター、とブコウスキーを結ぶ線は「定番」だ。
 『広告批評』とブコウスキーをつなぐ線、も充分にあり、だろう。

 しかし、『文化大革命の大宣伝』と取り組む50代後半の「もの書き」と『町でいちばんの美女』を結ぶ線。見えない。惹かれる。
 が、もとより、遙かに見えない稜線である。
 チャールズ・ブコウスキー1920年ドイツ生まれ。1994年3月9日。ロスアンジェルス近郊の港町、サンペドロにて。逝去。

その先は永代橋 白玉楼中の人