崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

切れ端を手に取りながら

 草森紳一先生の蔵書の中には、全集の「切れ端」があちこちに散らばっている。『荷風全集』や『安藤昌益全集』『エイゼンシュテイン全集』『名作歌舞伎全集』などなど。かなり数が揃っていそうなものもあるが、本当に全巻揃っているのかどうかは、全ての段ボール箱を開けてみるまでは、わからない。困ったものである。
 そんな「切れ端」の1つに、改造社の『現代日本文学全集』があった。
 1926(昭和元)年から刊行が始まったこの文学全集は、1円という画期的な廉価によって爆発的に売れ、いわゆる「円本」時代の幕を開いた。……という話は、ぼくも聞いたことがある。しかし、その実物に触れるのは、初めてだ。



 ぼくの父は昭和1ケタの生まれだが、少年時代、家にあった円本を読んでいたという。だとすれば間接的に、ぼくも円本の影響を受けているわけだ。そんな日本出版文化史の1コマを、実際に手にとって眺めることができるという喜び。だが、それ以上にぼくを刺激したのは、その「切れ端」のタイトルが『第37編 現代日本詩集・現代日本漢詩集』となっていたことだった。
 開いて見ると、「現代日本詩集」の部分が470ページもあるのに対して、「現代日本漢詩集」はわずか40ページ。とはいえ、副島蒼海を筆頭に、44人の漢詩人の作品を収めている。それなりのボリュームである。
 永代橋にほど近いおでん屋さんで、副島種臣(蒼海)を初めとする明治人たちの漢詩について、先生からいろいろとお話を伺ったことを思い出す。
 それにしても。
 「現代文学」と銘打った全集に、「漢詩」をタイトルに掲げた巻があるとは!
 現在でも、漢詩を作る人たちは少なからずいる。でも、それを「現代文学」の枠の中で捉えるなんて、ちょっと考えたことがなかった。そう思うと、昭和の初年という時代が、遠く遠く、霧の中にかすんでいくように感じられるのだった。

その先は永代橋 白玉楼中の人