崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

面妖な話



 なんと面妖な!?
 古いことばを使って、そう表現してみたくなる事態が、あるものだ。
 写真を見て欲しい。右側は、加藤繁著『支那経済史考証 上巻』(東洋文庫、1952)、なにやらむずかしそうな本だが、今回のお話には内容は一切、関係ないからご安心を。左側は、『原刊本影印 新青年 第1巻』(汲古書院、1970)。「新青年」というと、江戸川乱歩横溝正史が活躍したかつての名雑誌を思い出すかもしれないが、これはそうではなく、魯迅が『狂人日記』を発表した、こちらも有名な中国の雑誌である。
 ふつうに見れば、この2つの本が並んでいるように見えるだろう。しかし、ちがうのだ。前者の箱の中から、後者の中身が出てきたのである。
 それだけならば、よくある話だ。ちょっとオッチョコチョイなところもあった草森紳一先生、箱と中身を間違えたのだろう。ところが、この『新青年』という箔押しの表紙のついた立派な本を開くと、中身は『支那経済史考証』なのだ!
 これは、面妖だ。
 そう思って詳しく見ていくと、謎はさらに深まる。まず、この本の最初には、いきなり白ページが12ページも付いている。巻末の白ページならよくあるが、巻頭にこれだけの白ページなんて、考えられない。
 次に、その巻末には、奥付がない。奇妙なことに、奥付があるべきところが「王明選集第四巻目次」というページになっている。そして、表見返しと裏見返しには、なぜか「神宮文庫蔵 後拾遺和歌抄・正廣詠歌 古典研究会」と印刷された紙が使われているのである。
 この本、中身にはきちんと『支那経済史考証 上巻』が最初から最後まで納まっている。ただ、その前後に関係ないものがくっついている上に、表紙まで別の本になっているのだ。
 おそらく、束(つか)見本ではないか、と思う。束見本とは、装丁を考えてもらうために、判型やページ数などを本番に合わせて作る、書籍の見本である。中身が出来上がってから装丁を考えていたのでは間に合わないから、束見本では、使用予定の用紙と同じものを、どこかから持ってきて使う。すでに出来上がっている本にあてはまるものがあれば、ページ数だけを揃えてそれを用いることもある。
 写真の本は、その束見本なのではないだろうか。そう考えれば、すべての謎は説明がつく。ただ1点を除いては。
 この本の中には、書店からの納品書が挟まっていた。それによれば、草森先生はこの本を上下2冊揃い1万2000円でお買い求めになったらしい。
 先生ご自身は、開けてびっくりなさらなかったのだろうか? きちんとした本に取り換えて欲しいと思われなかったのだろうか? 中身は読めるのだからそれでいいと、納得なさったのだろうか?

その先は永代橋 白玉楼中の人