崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

上海から東京へ

 人が旅をするように、本もまた旅をする。
 本が「本」の形になって世に出るのは、製本所を出るときだ。でも、そこから先の旅路はさまざまである。取次、書店を経て、読者の手元へ届くもの。売れ残って、出版社の倉庫に眠るもの。著者の手にわたって親しい人に献本されるもの。担当編集者から新聞の書評欄宛に送りつけられるもの……。
 首尾よく読者のところへたどりついても、読まれて蔵書となるもの。積み上げられたまま忘れ去られるもの。読まれて捨てられるもの。古書店へ売り払われるもの。
 まことに、本の旅路は、十本十色である。
 蔵書整理をしていると、どんな旅の果てにここへ流れ着いたのか、ふと、考え込まされてしまうものがある。かつての持ち主の蔵書印がいくつも押してあったり、遠くの古書店のタグが残されていたり、どこかの企業内図書館の蔵書ラベルが貼ってあったり。
 『中国哲学史史料簡編 先秦部分』。「中国科学院哲学研究所中国哲学史組・北京大学哲学系中国哲学史教研室」というえらく長い編者名を付して、中華書局から1962年に刊行された中国書である。現代中国の書物にありがちな、そっけない表紙をつけただけの薄っぺらい並製本だ。



 その表紙に、「上海市徐匯区図書館蔵書」という赤いハンコが押してあった。ウラ見返しには、貸出票を収めるあのなつかしい袋まで、きちんと付いている。その下の方には、ごていねいに「愛護図書 按期還書(本を大切に。本は期日を守って返しましょう)」の8文字まで!
 草森紳一という人は、中国へは1度も行かずに、中国に関するさまざまな原稿を書いた。これは、伝説的だが事実らしい。行くと、かえって想像力の幅を狭める、と思ってらしたという。だから、先生が上海のこの図書館からこの本を借りて、そのまま「密輸入」したとは、考えられない。
 上海人のだれかがこの本を借りて、日本へ持ってきたまま、不慮の事故かなにかで返せなくなってしまったのか。この図書館が蔵書を処分せねばならないような事情があって、それがめぐりめぐって、草森先生のもとまでやって来たのか。あるいは、麻薬を日本へ持ち込むため、上海マフィアがカモフラージュに使った本(?)だったのか。
 鎖国時代は長崎を経て、開国してからは横浜経由で、そして最近は成田経由で、上海と東京の間を、実にさまざまなものが往来してきた。そこには、語られずに消えていった、さまざまな物語があったことだろう。
 この本の旅も、そんな物語の1つだったはずである。

その先は永代橋 白玉楼中の人