崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

ほどよい科学と、ほどよい空想



 未来を予測するというのは、むずかしいものだ。
 たっぷり25年振りに、高千穂遙クラッシャージョウ・シリーズの1冊を読んで、そんなことを考えた。
 時は22世紀、ワープ航法の完成により、銀河系に広く進出して繁栄する人類。依頼に応じてどんな困難な仕事でも請け負う、「クラッシャー」と呼ばれる命知らずの者たちがいた。年は若いが腕は確かなクラッシャー、ジョウの活躍を描くのが、このシリーズ。蔵書の中から出てきたのは、その第4巻『暗黒邪神教の洞窟』(ソノラマ文庫、1978)である。
 別に、この作品世界が古びてしまっている、と言いたいわけではない。スペース・オペラにはほどよい、適度な科学性と適度な空想力。魅力的なキャラクターたちと起伏に富んだストーリー展開。そして、それを支える安彦良和の手になる挿絵。中学時代、夢中になって読んだときと同じように、今回も一気に読み進めさせられた。少年時代へのノスタルジーを差し引いても、今なお十分におもしろい。
 ぼくが中学生のころ、アニメ好きの間では、このシリーズは人気があった。奥付によれば、刊行後4年で28刷になっているから、それはぼくの周りだけでのことではなかったのだ。そして、高校生になったころ、ジョウは映画にもなった。
 映画『クラッシャージョウ』は、くろうと筋には受けがよかった。新聞評で、ようやく大人の鑑賞にも耐えられるアニメ映画が現れた、と書かれていたのを読んだ記憶がある。ハリウッドが『スター・ウォーズ』で作って見せたようなスペース・オペラを、日本ではアニメが担う。そんな時代が来るんじゃないかと、思ったものだ。
 しかし、実際は、まったく違っていた。たしかに、いわゆる宮崎アニメや、押井守監督の作品など、世界的な評価を受けるものが多数現れて、アニメは現代日本文化を代表する「コンテンツ」などと呼ばれるようにはなった。しかし、結局のところ、スペース・オペラは、日本では市民権を得切れていないんじゃなかろうか。
 そしてまた、海の向こうでは、あのころは日本のアニメでしか表現できないと思われていたような特殊な動きを見せる映像を、CGを使っていとも簡単に実現して見せる時代となった。
 そうしてまた。出版元の朝日ソノラマが倒産して、クラッシャージョウ・シリーズがハヤカワ文庫に「移籍」することになるとは。あのころには思ってもみなかったことだ。
 ひとはよく、自分の立っている地点から見える風景を「未来」だと思いこむ。しかしそれは、たいていの場合、根拠のある推測というよりは、空想に近いのだ。だとすれば!
 ぼくは、なまじっかな未来予想にふけるよりも、科学と空想がほどよく調和した、良質のスペース・オペラを読んでいる方が、よほどたのしい。

その先は永代橋 白玉楼中の人