崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

「最後の文人」草森紳一は、2008年3月東京の自宅マンションで急逝しました。自室に遺されたのは山と積まれた3万冊余りの本たち。このブログでは、蔵書のその後をお伝えします。

海を越えるために

 10年ちょっと前、タイ旅行から帰ってきた女の子から、おみやげに『ドラえもん』のタイ語版をもらったことがある。他になかったのか? と思いつつも、ぼくになら冗談が伝わると判断してくれたのだと考え直して、複雑な気持ちを抱きながらもありがたく頂戴。日本マンガのワールドワイドな展開に思いをはせたことだった。



 さて、今回、段ボール箱の中から登場したのは、植田まさしフリテンくん』の中国語版(沈西城、本池滋夫訳)。タイトルに使われている、石へんに並という漢字は、日本では見慣れないが、「釘」と連ねて、「うまくいかなくなる」とか「そっけなくされる」といった意味を表す中国語のようだ。発音はポンディンに近いから、麻雀で、自分の上がり牌をすでに自分で捨ててしまっていることを意味する「振聴(フリテン)」の厳密な当て字ではない。
 この翻訳版、1981年の刊行で、巻頭には、出版元の竹書房の社長、野口太爾郎による「前言」(中国語)が載っている。いわく、「中国と日本の国交が回復して早くも10年が過ぎようとしています。この間、政府間の交流はもちろん、経済を中心とした民間の交流も年を追って緊密となってきました。弊社は、文化の交流をさらに一歩推し進めるべく、現在、日本で1番人気のあるマンガを中国語に翻訳してお届けしようと考えました。」
 1972年2月、アメリカのニクソン大統領が電撃的に北京を訪れたのを受けて、日本でも、中華人民共和国との国交正常化の動きが急速となった。7月に総理大臣に就任したばかりの田中角栄が、周恩来とともに「日中共同声明」に署名したのは9月のことだ。それから10年足らず。4コママンガを翻訳出版するにつけても、まだまだ大仰な「前言」が必要とされる、そんな時代だったのである。
 そんなことはどこ吹く風と、宇宙服を着てテニスラケットで地球を打ち飛ばそうとしているフリテンくんの姿は、なんとも笑えるし、たのもしい。その腰あたりには、「令全地球狂笑的地震警報経已発出!」の文字が緑色で流れている。地球全体を爆笑の渦に巻き込む地震警報が発令中、とでもいった意味だが、現在のセンスからすると、あまりに説明的だろう。一方、その下に踊る「ナハ」「ナハ」「ナハハ」の方は日本語のまま。中国の読者の目になにやらおかしな記号のように映る効果でも、ねらったのだろうか。
 マンガやアニメは、今や日本を代表する「文化」として、世界に向けて堂々と発信されている。この『フリテンくん』は、その先駆けなのだろう。しかし、1981年という時代、マンガは海を越えるために、まだまだ試行錯誤を重ねていたのである。

その先は永代橋 白玉楼中の人