読書とは、基本的に孤独な営みだ。
少なくとも、ぼくにとっては、そうである。おもしろいと思った本を、他人に勧めたことがあまりない。たまに勧めても、読んでもらえた経験も、あまりない。逆に、人から勧められた本も、めったに読まない。だから、いわゆる「書評」を読んで本を買うこともそんなに多くないし、「読書会」なんて、まったく縁がない。
ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』(池央耿訳、創元推理文庫、1980年)。これを読んだのは、中学3年生のときか、高校1年生のときか。あの感動は、忘れがたい。
魅力的な発端と、あまりも大がかりに展開するドラマ。クラークの『宇宙のランデブー』、ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』とともに、いまでも、マイ・ベストSFの1冊である。
でも、すごい、すごいと興奮しながら友だちに勧めたけれど、やっぱり、だれも読んではくれなかったなあ。
どうも、ぼくの好みは特殊らしい。高校、大学、社会人と、数多くの読書好きに出会ってきた。でも、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の話では一緒に盛り上がれても、同じ本の読書体験を通じて盛り上がれたためしは、ほとんどないのだ。
まあ、いいさ。どうせ、1人で生まれて、1人で死んでいくんだから。
そんな、投げやりにならなくても。好きな本のことを語っている、その人の表情そのものを愛せればいいじゃないか。たとえ、それが自分には縁のない本であっても。
そうに思えるようになってきたのは、40の大台が見えてきてからだ。
この大宇宙の中で、人類ははたして孤独な存在なのか、そうではないのか。SFがしばしば直面するこの問題だって、要は、気の持ちようなんだから、さ。