日本の伝統的な和綴じ本は、基本的に和紙でできているから、強度が低い。持ってみるとふにゃふにゃだし、ちょっとぞんざいに扱っていると、角の部分からめくれ上がってきたりする。
そこで、大事に保存するために「帙(ちつ)」というものを用いる。厚紙に布や紙を貼り付けて丈夫にした一種のカバーで、和本を何冊か重ねて、これで箱のようにくるむ。上面は右側から来る方が外になるように二枚重ねにして、象牙か何かで出来たツメで留めるようになっている。和本の本家、中国の本も、もちろん同じである。
帙入りの本は、現在の洋装本でいうと、丈夫な箱に入った豪華本のようなもので、重厚な風格が漂う。草森先生の蔵書の中にも、帙入りはたくさんあって、それを開くたびに、なんだか身の引き締まるような思いがする。
でも、この本の帙を開いたときには、びっくりした。
この本、おごそかにツメを外して帙を開いた瞬間、目に飛び込んで来るのは、広告なのだ。二枚重ねの内側になる方に、一面に、他の書籍の広告が載っているのである。
現在でも、書籍の巻末には、自社本の広告を入れることが多い。それとおんなじだと言えば、それまでだ。しかし、帙入り本のあの雰囲気は、台なしだ。
それで思い出したのは、大正のころの新聞を、図書館で初めて閲覧したときのことだ。驚いたことに、当時の新聞の1面は、全部広告だった。ぼくたちの常識からすれば、一番大事なトップニュースを載せる、新聞の顔とも言うべき部分が、上から下まで、びっしりと広告で占められているのだ。そしてこの「1面広告」は、昭和10年代前半までは、新聞のスタンダードな形式だったようなのだ。
新聞の1面は、読者が必ず、否応なしに目にする部分だ。だから、広告としての効果は一番高い。どこか1社がここを広告にして売り出したとき、それは「グッド・アイデア」として受け入れられ、他社も追随したのだろう。
もし仮に、和綴じ本が、今でも書籍の一般的な形態だったとしたら。
帙には、広告が満ちあふれていたのかもしれない。そう考えると、洋装本の登場は、帙にとっては、むしろ幸せだったのかもしれない、などと思ったりする。