この漢字、なんて読むんでしょうね?
そんなふうに声を掛けられると、身構えてしまう。何を隠そう、ぼくは一応、漢和辞典の編集者をしていたということになっている。加えて、円満字二郎というこの本名で、一見したところは「漢字本」としか見えないような著書を、何冊か出している身なのだ。わかりません、なんて、そう簡単に言えたものじゃない(もっとも、知らない漢字なんていくらでもあるのだけれど)。
楞。
示されたその漢字を見て、ぼくはホッとした。この字なら、知っている。と同時に、ある詩句が心に浮かんだ。
数え年27で夭折した中国の天才詩人、李賀(791〜817)が、友人の陳商に贈った詩の冒頭だ。未来を信じることのできぬ青春時代。その屈託した心情を表した名句として愛唱されているから、どこかで耳にしたことのある方も多いだろう。
この「陳商に贈る」という詩は、次のように続いていく。
楞伽(りょうが)、案前に堆(うずたか)く
楚辞(そじ)、肘後(ちゅうご)に繋(か)く
「楞伽」というのは、お経の名前。「楚辞」というのは、詩集の名前。「案前」は机の前、「肘後」はひじの後ろ。『楞伽経』や『楚辞』を愛読して、いつも身の回りに置いている、というのである。
『楚辞』は、漢詩の世界ではとても有名な書物だ。母国の将来を憂えて身を投げた悲劇の詩人、屈原(くつげん)の詩を収めている。李賀の詩を読むと、華麗なことば遣いの中にやるせない憂いが込められた『楚辞』を愛読したことは、よく伝わってくる。でも、『楞伽経』については、ぼくは知るところがない。ただ、それこそ出版社で漢和辞典を編集していたころに、「楞」という漢字に出会って、そのなんとも珍しい漢字が使われる珍しい用例の1つとして、脳みその片隅にインプットされたにすぎない。
調べてみると、お釈迦さまがスリランカのランカー山(「楞伽」はその音訳らしい)で説いたとされるお経で、禅との関係が深いらしい。
李賀は『楞伽経』をどのように読んだのか? 彼の作品には、他にこの漢字は出てこないようだ。
草森紳一という人が李賀に出会ったのは、19歳のときだという。以来半世紀、その詩に傾倒しつづけた。蔵書の中には、『楞伽経』に関するむずかしそうな本が何冊も含まれている。執念を見る思いがする。