高校時代のぼくは、かなりのミステリ・マニアだった。でも、ジョルジュ・シムノンは例外だった。『黄色い犬』だけは読んだのだが、いまひとつ納得がいかなくて、そのままにしてしまったのだ。
メグレ警視のよさが分かるようになったのは、大学生になって東京で独り暮らしを始めてからだ。何かの折に『男の首』を読んで、えらく感動したのを覚えている。大都会パリで、あまりにも孤独に生きざるを得なかった犯人と、彼が断頭台に消えるのをやさしく見送るメグレ……。
ぼくも少しだけ、大人になったのだ。
「テレビ朝日系放映! 東京メグレ警視シリーズ」
そんなテレビ・ドラマがあったのか。それだけでも驚きだったのだが、色つきメガネをかけてパイプをくわえたこの“メグレ”は、いったいだれなのだろう?
おそらく上司と思われる、スーツを着てピシッと決めている男性は、中村敦夫だ。メグレ夫人らしい女性は、市原悦子に間違いない。とすると、このメグレは、ひょっとすると、愛川欽也ではあるまいか?
「東京メグレ警視シリーズ」は、1978年4月14日から半年間、毎週金曜9時に放送された。初回放送は、10時枠の「必殺」シリーズを押しのけて、堂々の2時間スペシャル。その朝の『朝日新聞』テレビ面「試写室」欄には、次のようにある。
「主人公はパリ警視庁研修帰りの中年捜査員(愛川欽也)。舞台は東京だが、キャスティングといい、いささか大胆。」
180センチ、100キロ。がっしりした体つきに太い指。低い声で話す“運命の修理人”。かつて、名優ジャン・ギャバンの当たり役だったイメージからすると、たしかに大胆だ。
愛川欽也が映画『トラック野郎』シリーズの「やもめのジョナサン」役でブレイクしたのは、1975年。テレビ朝日が今も続く「土曜ワイド劇場」を始めたのが、1977年。1968年に会社更生法の申請をした河出書房新社が、現在の社屋に移転したのが1979年。
みんな、いろいろあったのだ。
どうでもいいことだが、そのころハナタレ小僧だったぼくが、青雲の志を抱いて上京したのは、1986年のことである。