堀辰雄といえば、『美しい村』や『風立ちぬ』で知られる小説家だ。軽井沢あたりの高原で、詩を書いたり油絵を描いたりしている男女のちょっとおしゃれな生活。そんなイメージがある。
だから、『堀辰雄 杜甫詩ノオト』(内山知也編、木耳社、1975年)という本を見つけたときには、かなり驚いた。堀辰雄の作品世界と、杜甫の重厚な漢詩とが、まったく結びつかなかったのだ。
しっかりとした貼り箱から布クロスの本体を取り出すと、中にはさらに、四六判・簡易フランス装のような造りの薄い本が2冊、パラフィン紙に包まれて納まっている。
おしゃれだ。
たとえば、晩年の杜甫の絶唱「秋興(しゅうきょう)八首」の冒頭は、次のように訳されている。長江の中流、巫山(ふざん)のふもと巫峡(ふきょう)と呼ばれる峡谷の秋景色を歌った作品である。
「ここ巫山、巫峽——
蕭々たる氣が一面にしみ渡り、
ありとある楓の林が、
露のためにすっかり痛めつけられてゐる。——
ああ、秋が深い。」
おおむね、原詩通りの訳なのだが、最後の1行は、原詩にはない。「ああ、秋が深い。」は、杜甫のため息ではない。堀辰雄のため息なのだ。
杜甫は嘆きの詩人だが、こんな風には嘆かない。もの悲しい風景を描いたら、あとは風景に嘆かせる。そこに、ため息を1つ、ついてみせる堀辰雄。
堀辰雄は、いったい杜甫のどこに惹かれたのか? この中国の詩聖は、戦乱の時代に病身を抱えて生きた。太平洋戦争末期の堀辰雄は、その境遇に自身を重ねたのか?
ため息1つに、文学というものの不可思議が見える。